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伝説の人となった今なお、数多くの逸話がその人柄とともに愛しく語り継がれる昭和グループの創始者・金子道雄。明治38年7月20日、佐世保にある貧しい製缶工の家庭に10人兄弟の長男として生れた道雄は、幼くして青木洋鉄商店に丁稚奉公に入った。店主・青木栄蔵には厳しい教えを受けるとともに商才を買われ、25歳の時、青木夫人の熱心なすすめで重子夫人を伴侶とした。昭和10年、30歳の若さで支配人となり、店主亡きあとの青木商店を背負うことになる。

軍需景気の追い風を受け、順調に事業拡張を続ける道雄のもとに昭和バスの身売りが持ちかけられた。周囲の反対を押し切って事業に乗り出したのは、後の平和産業の復活と交通の発達を予測していたからだろうか。この先見の明をもって、つぎつぎと事業は発展する。昭和20年、昭和自動車は順調に成長し、翌21年からトヨタ自動車の依頼で長崎トヨタのディーラーを皮切りに福岡・佐賀でもディーラー経営を引き受けることになる。

昭和30年には、戦後2人目の唐津市長に当選し、事業とともに地域の振興に全力投球することになる。当時、社員との小さな約束をも果たすなど、多忙でありながら情に報いる有言実行ぶりは有名で、その温情は社員と唐津市民に分け隔てなく注がれた。

昭和36年には、昭和天皇・皇后両陛下が金子道雄邸にご宿泊。比類なき栄誉を受ける。唐津市長は3期12年を務め、地域発展に大きく寄与。市長退任後も、事業利益を地元に還元しようと昭和50年に「金子財団」を設立。この他、唐津の地に数多くの功績が讃えられ、当時の衆議院議長・保利茂とともに初の唐津名誉市民となった。

正義を貫き、ひたすら精進した熱血漢の六十星霜であった。市長就任中に修復した唐津城は、昭和グループと唐津市の発展を見守るかのように今もその雄姿をたたえている。
昭和グループ創始者
金子 道雄
終戦後の安息とともに走行開始した
木炭バス

総務省より藍綬褒章授与
(昭和40年12月)
昭和12年9月 力武エイ氏より昭和自動車の経営権を青木洋鉄商店が譲り受ける
昭和20年7月 昭和自動車社長に金子道雄就任(会長:青木省二郎)
昭和21年11月 長崎トヨタ社長に金子道雄就任
昭和28年3月 福岡トヨタ社長に金子道雄就任
昭和32年11月 福岡トヨタディーゼル(トヨタカローラ福岡に改称)取締役に金子道雄就任
昭和36年4月 佐賀トヨタ社長に金子道雄就任
昭和38年4月 福岡昭和タクシー設立
昭和41年10月 トヨタレンタカーサービス福岡設立 (トヨタレンタリース福岡に改称)
昭和43年1月 トヨタオート福岡設立(ネッツトヨタ福岡に改称)
9月 昭和セントラル設立(SEEDホールディングスに改称)
昭和44年8月 福岡トヨタフォークリフト設立(トヨタL&F福岡に改称)
昭和48年11月 昭和グループ厚生年金基金設立(昭和グループ企業年金基金に改称)
昭和50年6月 財団法人 金子財団設立(公益財団法人 金子財団に改称)
9月 昭和学園設立
昭和54年4月 トヨタレンタリース佐賀設立
6月 トヨタオート佐賀設立(ネッツトヨタ佐賀に改称)

8月

金子道雄逝去
12月 トヨタビスタ佐賀設立(ネッツトヨタ佐賀と合併)
昭和58年9月 佐賀OA機器設立(ソアーに改称)
昭和59年9月 昭和フード設立
平成13年4月 カーメイクショップ佐賀設立
6月 西九州トヨタ自動車株式会社設立(佐賀トヨタ、長崎トヨタ合併)
平成22年2月 昭和グループマーケティング株式会社設立
令和元年10月 福岡トヨペット株式会社が加入
令和4年4月 佐賀トヨタ自動車株式会社設立(西九州トヨタ(佐賀地域)、ネッツトヨタ佐賀合併)
西九州トヨタ(長崎地域)を「長崎トヨタ」の屋号で福岡トヨタ自動車株式会社に事業移管
令和6年1月 株式会社トヨタレンタリース博多が加入
令和6年10月 カーメイクショップ佐賀株式会社が佐賀トヨタ自動車株式会社に吸収合併

年商の推移

従業員数

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